ボスニア訪問参加者のレポート 

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    今回の訪問で参加したメンバーのレポートを紹介します。



    訪問前、ボスニアに対して持っていたイメージは、破壊された建物とその残骸、雰囲気が殺伐としていて暗い等漠然としたもので、おそらくその多くが日本において報道されているボスニアの映像などから得たものであったのだと思う。実際に訪れてみると、まだ砲弾の跡は残るものの、街は確実に復旧していて、人々は温かく迎え入れてくれるし、自分の中のイメージとはかなり違うものだった。

    訪問した視覚障害者の施設は、教育省が施設の費用を負担しているが、内戦前に比べ、教材も人手も不足しているとのことだった。また、他国からの援助物資の普及率も地域によって異なる上に、最近では援助物資自体の量が減少しているとのことで、「あなたたちは、この施設のために何ができるのか。」と、施設側から具体的な質問を投げかけられた。今回の訪問でこのような質問が相手側から返ってきたのはこの施設がはじめてだったので、非常に印象的だった。内戦から年月が経ったことで、教育を受けるための環境の確保から、よりよい教育環境を整えるためへと、彼らの必要とするものも変わってきているように感じた。自分たちがセレッソの試合のたびに募金活動を行い、皆さんに協力していただいて集まったお金で、一体何ができるのか、彼らは喜んで受け入れてくれてはいるけれど、本当に必要なものは一体何なのか、を改めて考えさせられた。

    今回の訪問は、人から話を聞いたり、TVのニュースで見るだけでは得られない、行って、自分の目で見なければわからないことをたくさん学ぶことができた。自分自身にとって、非常に有意義な訪問だったと思う。

    ボスニア訪問参加者のレポート 

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      今回の訪問で参加したメンバーのレポートを紹介します。



          今回、初めてクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会の活動に参加させていただき、ボスニア、クロアチアまで行き、大変有意義な経験をさせていただきました。吉澤俊和と申します。私は小さいころから世界の民族問題に興味を抱いており、中学や高校の授業や、民族問題を扱った書籍等を通して知識を広げてはきましたが、実際にその現場に触れるという経験をできた今回の旅は、自分の人生を広げる貴重なものとなると確信しています。

      本題に入る前に私が授業や文献を通じて一番印象に残っている言葉を紹介したいと思います。それはユーゴスラビアが「1つの国家、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、7つの国境」で出来ている国であるという言葉でした。日本という単一民族国家に住む人間として、これだけは容易に想像できるものではなく、問題の複雑さを表す言葉であるといえます。

      今回の旅で、一番印象に残る町はどこかと聞かれれば、サラエヴォの後に訪問したデルベンタと答えるでしょう。そもそもボスニア・ヘルツェゴビナという国家はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア人共和国という二つの連邦内共和国に分かれており、このデルベンタはセルビア人共和国に属した町らしく、セルビア人が住んでいるそうです。つまり、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側のサラエヴォとは違う言葉を使い、違う民族が住んでいるということになります。

      サラエヴォでさえ簡単に行くことが出来る場所ではないのに、さらにセルビア人共和国側の地方都市に行くことができるなんて、私の冒険心がますます燃えてきました。そこでは、通訳の方の家に偶然にも泊まることができたのですが、朝の学校、通りの雰囲気、ちょっとした店の様子のどれをみても戦争の傷跡をうかがい知れるものはなく、他のヨーロッパやアメリカの田舎町と変わらないものでした。確かにグラウンドのフェンスが銃弾の影響で穴だらけだったり、少し産業が寂れているなという様子は見られたりしても、アフリカ難民のような生きるか死ぬかという貧しさはそこにはなく、力強く復興し明るく生きている様子を見ることができました。出勤しようとしている女性はオシャレな格好をしていたし、登校中の高校生たちは欧米のそれと何もかわらない様子でした。

      それを見て、今回の旅で一番こころに残った言葉を思い出しました。「私たちは民族を超えてみんな仲良く生きていこうとしています。あんな戦争があったからって簡単に、愚かな民族であると思わないでください。」なるほど。この人たちは被害者なんだな。こころの中で、他の民族のことを憎く思うことはあっても、愚かな戦争なんてやっちゃいけない。多民族であるからこそ、その違いを認めあえる一般市民はきっとあのころもいたはずなのに、国境線の引き方、大統領の決め方、そんな数的な問題のせいで今も望まない戦争で苦しむ市民は世界にいるんだなと感じました。

      私はアメリカ留学中にボスニア人たちだけのチームとサッカーの試合で対戦中に、ボスニア人に日本人のチームメートの足を折られ、謝るどころか、嘘をつくなと言われた経験があります。非常に悲しい出来事でした。正直そのとき「だからおまえたちは戦争するんだよ」と思っていました。その一件のせいで、私のボスニアに対する偏見が生まれてしまいます。今回私がボスニアを訪問しなかったら決して解消されることのない偏見がうまれてしまいます。反対に、ドイツで地下鉄の乗り方がわからなかったとき、4年前も今回も、私が何もきかずともこんなさえないアジア人にドイツ人は切符の買い方を教えてくれました。ドイツ人はなんて優しいのだ。ここにもドイツ人を一般化した偏見がうまれてしまいます(この場合はいい偏見ですが)。

      つまり、こうしてそんな小さな偏見からあの国はいいがあの国はだめだという差別が生まれ、そしてそれが戦争につながるのだと感じました。今回の旅行だけでも、そういった偏見を生みかねない出来事は多くありました。二度とあんな戦争をしないために、そして日本人も同じ過ちをくりかえさないために、私は海外へ多く行き、〜人は〜であるといった偏見を生み出さないように多くの経験を積みたいと強く感じました。そして、ドイツ人が私に対してしてくれたように、小さな優しい行動をとることで日本に対して悪い偏見を持たない人を一人でも増やしたいと思っています。最後に、そう考えるに至らしめてくれたこの旅と、この旅に私を参加させてくださった方々に感謝いたします。
                             吉澤 俊和

      ボスニア訪問参加者のレポート 

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        今回の訪問で参加したメンバーのレポートを紹介します。


        私がボスニアに行く前に想像していたのは、
        家も車も数えるぐらいしか無いような国でした。
        でも実際に行ってみて、想像していた街並よりきれいでした。
        なにより、優しい素敵な方ばかりでボスニアに対しての印象が変わりました。

        私が今回の旅で嬉しかったのは、トゥレやボスニアの役にたてた事です。
        トゥレが好きでボスニア募金に参加してから、
        やっとトゥレやボスニアの役にたてたのが本当に嬉しかったです。
        ボールを持っていった施設では、
        施設の人たちが嬉しそうに笑ってくれたのがとても印象深いです。
        あの笑顔を思い出したら、これからも募金活動を頑張っていけそうです。

        トゥレの所属チームの練習見学は、
        滅多に出来ない事だったので嬉しかったです。
        どう言ったら良いか分かりませんが、
        「トゥレが練習してる〜」って感じでした。
        あんなに近くで見れて良かったです。


        旅全体の感想としては、言葉では言い表せない事の連続でした。
        普通の高校生ができる事ではないので、とても貴重な体験でした。
        また行く機会があれば、ぜひ行きたいです。

                                     

        ザグレブでの再会

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          ボスニアの国境を越えクロアチアへ入り数時間後に首都・ザグレブに着く。
          連日の施設の訪問と移動にメンバー皆疲れていた。
          でもザグレブのバスターミナルで
          クロアチア・サポーターのマティア君が迎えに来てくれて、嬉しさで疲れも一掃された。
          彼は2002年のサポーターに交流からボール運搬を協力してくれた友人で、
          5年来の付き合いとなる。
          仕事の合間に時間を作って迎え来てくれた。そうした心遣いが何より嬉しかった。
          彼とは昨年、サラエボとドイツで再会しているが、
          ザグレブで再会するのは私自身4年振りとなる。
          4年振りに見るザグレブは見た目は大きく変わっていなかったが、
          人の多さと活気は4年前と違い、大きく変わった。
          クロアチアもボスニアと同時期に戦争にあったが、
          ザグレブを見た限りではボスニアに比べたら
          戦争の傷跡はほとんど見当たらない本当にきれいな街です。
          未来永劫戦争もなくこのきれいな街のままでいてくれたらと心から思います。




          この日の夜にマティア君と
          2002年に大阪へ招待し、セレッソユースで練習をした
          NKザグレブのユース選手ディノ君と彼の父・ボリスさんと再会し食事をしました。

          私自身、彼とは4年振りの再会で、4年前は可愛らしかった少年(左の写真中央)でしたが、

          現在、身体はかなり成長し、187cmまで背が伸びていて驚きました(右の写真)。
          彼は今でもセレッソで練習したことは素晴らしい経験と思い出になったと語ってくれました。
          現在もNKザグレブユースで左ウイングで活躍しています。
          彼が未来のクロアチア代表になることを願い、
          その姿を見る日を楽しみに彼らと別れて、明日ザグレブを経つ。

          国境へ 国境の向こうへ

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            本日は長距離バスでデルベンタから国境を越え、クロアチアの首都、ザグレブへ向かう。
            バスターミナルでジェキチさんに見送っていただき、一同バスに乗り込み一路ザグレブへ。
            デルベンタをあとにして、車窓から草原地帯を眺めていたら赤いドクロマークの看板を目にする。
            おそらく地雷の看板であろう。
            まさか国道沿いの草原にあるとは思ってなかったこともあり、写真を撮ることが出来なかった。
            帰国後、ジェキチさんに地雷の看板だと教えていただいた。
            デルベンタ付近もかなり地雷が撤去されたようだが、
            僕らが通過した道すがら(草原)に一部地雷地域があるそうです。
            毎年地雷や不発弾に触れて子どもが死傷する事故が後を立ちたたない。
            国や街は復興してもまだ残る地雷…

            デルベンタを出発してものの30分くらいで国境に着く。
            ボスニア側の検問は厳しいことは全くなかった。
            クロアチア側から自転車で行き来してる人が目に映った。
            国境では本来の日常が戻っているが、まだ地雷は残っている。
            戦争は精神的にも物質的にもいつまでも傷跡残し続ける。
            全てがきれいになる日はの訪れるのだろうか。

            デルベンタの街

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              今回初めてデルベンタに訪問したので、感じたことを書きます。
              デルベンタに着いてまず目に付いたのが三色旗だった。
              最初はセルビアの国旗だと思ったが、後にスルプスカ共和国の旗と知った。

              ボスニア・ヘルツェゴビナの旗は見当たらない。
              この旗を見てセルビア人主体の国に来たんだと感じた。
              ボスニアの中にあるセルビア人の国。
              だが違和感はそれくらいしかなかった。
              街は地方都市もあって首都サラエボに比べたら少し寂しげな感はあったが、
              街の雰囲気は落ち着いて、人々もおだやかでいい街であった。



              でも街を歩けば多くではないが、
              銃弾の痕がある建物もあり、戦争の傷跡は残っている。
              地元の中学校の建物も沢山の銃弾に砲弾が打ち込まれている。


              昨年続いて今回も通訳として帯同していただいた
              ジェキチ美穂さんの住んでいる地区のすぐそばにサッカーコートがある。
              これはそのサッカーコートを穴からのぞいた写真だが、この穴は

              サッカーコートを囲う壁に無数に撃ちつけられた銃弾の痕である。
              ここの地区はただの住宅エリアである。
              ジェキチさんが『今、壁はきれいになってますが、
              以前は私の家も銃弾だらけでした。』と教えてくれた。
              サラエボでもそうであったが、
              住宅地だろうがどこであろうが戦争は行われていた。
              このボスニア紛争はセルビア人が犯罪者のように報道されていたが、
              ボスニア人、セルビア人、クロアチア人の大半の人たちが
              被害者なんだとこの街に来て感じた。
              昨年セルモさんが僕たちに語ってくれた言葉、
              『90%の人たちは戦争をしたくなかった。
              でも10%の人たちが戦争をさせた。』
              を思い出した。

              戦争は悲しく惨いものだと思う。
              でも今はこうしてサッカーを楽しんでいる人たちをみると
              ずっとこの風景が未来永劫続いてほしいと思った。


              それと中学校の前を通った時、
              前日に訪問したサッカースクールの少年が笑顔で声を掛けてくれた。
              気持ちが晴れやかになる笑顔だった。

              ボスニア サッカーボール寄贈レポート 

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                先日から雨が夜から雪に変わり、朝になると一面銀世界になっていた。
                私自身、過去数回サラエボに訪れているが、銀世界のサラエボは初めてだった。
                この日の出発はタイトな時間に出発したこともあり、とても慌しいものとなり、
                バスターミナルへ向かうタクシーのガラスも曇っていたこともあり、
                雪景色のサラエボをカメラに収めることは出来なかった。
                慌しくサラエボのバスターミナルに到着地、次に向かう街デルベンタ行きのバスに乗り込む。

                デルベンタという街はボスニア・ヘルツェゴビナの北部の街で、
                連邦国家であるボスニア・ヘルツェゴビナの構成体の1つ、
                セルビア人を主体とするスルプスカ共和国の内にある街で、クロアチア国境にも近い街でもある。
                デルベンタでは2施設を訪問、寄贈する。
                前回同様、今回も通訳で帯同していただいているジェキチ・美穂さんの住んでいる街。
                ジェキチさんの紹介で今回の訪問が出来きるようになりました。

                バスで揺られること3時間半、デルベンタに到着。
                サラエボから北上したにも関わらず積雪どころか雪は全く降らず。
                それでも天気はすぐれなかった。
                北部の地方都市で曇天も手伝ってか、サラエボよりは少し寂しい感じのする街であった。

                ひとつ目の訪問した施設は
                視覚障害者施設 zavod za slijepe i slabovide ''Buducnost''(ブドゥチノスト)。
                学校名であるブドゥチノストは現地語で【未来】を意味する。
                ボスニアに2つある視覚障害者施設の1つで、
                内戦よって多大な被害を受けたが、
                国際赤十字、イタリア、日本政府やNGO団体など援助を受け復興するも
                内戦終了後は年々援助が減っていく。
                生徒の数に対して教育者、看護士が不足している。
                当施設ではブラインドサッカーを行っている。
                ブラインドサッカーとは、ゴーグルで目隠しをした状態で
                転がすと音がするサッカーボールで行われるサッカーで
                視覚障害者のするスポーツとして当施設でも地域大会などが行われている。
                こちらではブラインドサッカー専用のサッカーボールを寄贈しました。

                そのブラインドサッカー専用のサッカーボールで、
                実際体験させてもらったが、目隠しされた状態で音だけを頼りに
                サッカーをする難しさを体感しました。

                視覚障害者の子供達はいともたやすくボールを動かし、パス、ドリブル、シュートとこなす。
                ただただ驚くばかりの体験であった。
                だがどこの国でも障害あろうともサッカーというスポーツが愛されていることに喜びを感じました。

                ふたつ目の訪問した施設は、
                サッカースクール Skola Fudbala Mali Sampion(シュコーラ フドバラ マリ シャンピオン)     
                デルベンタにあるFK Tekstilac(テクスティーラッツ)が運営する少年サッカースクールで、
                グランドは中学校のグランドを借りて練習を行っている。
                100人以上の少年が当スクールで練習、試合を行っている。
                こちらの施設にはセレッソのサッカーボールを寄贈しました。

                コーチのエディン・ポロビッチ氏はボスニア代表時代に
                トゥレ(トゥルコビッチ選手)とプレーをした経験があって、
                『トゥレは素晴らしい選手であり、人としても素晴らしい』と語ってくれました。
                まさかこの施設でトゥレの元チームメイトの方に会えるなんて
                思いもよらなかったので、驚きでもあり嬉しさもありました。
                この時に現地の新聞記者に取材を受けました。
                その時の記事の写真が以下のものになります。


                過去4回はサラエボの施設ばかり訪問、寄贈をしてきましたが、
                今回は初めてサラエボ以外の街を訪問しました。
                どの施設を訪れても共通性を感じることがありました。
                それは、戦争によって政府などの支援不足になり、
                世界各国のNGOやボランティアの支援を得ているが、
                その支援は継続出来る状態はあまりなく、安定しているとは言い難い。
                ワークショップなどで施設を運営をしているが財政は苦しいのが現状。
                それに施設によってはサッカーボールばかり寄贈することが
                ベストもしくはベターではないこともある。
                今後はその施設に何が必要となるかを考えることも必要かもしれないと思う。

                FKサラエボ 練習見学

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                  午後からは彼が現在所属するクラブ、
                  FKサラエボの練習を見学することが出来ました。
                  練習場はATLETSKI CENTER KOSEVO
                  (アトレツキ・ツェンタル・コシェボ=コシェボ・アスレチック・センター)

                  内にあります。
                  あいにく雨天の為、室内練習場での練習見学となりました。
                  突然の訪問にも関わらず選手、スタッフの皆さんから歓迎を受け、
                  記念撮影もしていただきました。
                  内容はフィジカルトレーニングでしたが、
                  トゥレの練習を間近見れたことは本当に嬉しかった。



                  練習見学後、練習場の隣にあるナショナルスタジアムを見学することに。

                  現在4万人収容する為に改修中。

                  スタジアムのフィールドに出た時にセルモさんが、
                  戦争当時でもこのスタジアムで
                  山の上から敵に銃撃を受けながらも試合をしていて、
                  銃撃が始まると山側にあるスタンドに身を隠し、
                  銃撃が止まると試合を再開を繰り返しながら試合を進行していたと話してくれた。
                  銃弾が飛び交う中でサッカーの試合を行われていたなんて本当に驚きだった。
                  これも彼らの意地なんだろうと思うが、それにしては危険すぎる。

                  セルモさんがFKサラエボの練習を終えたばかりの
                  アレン選手を紹介してくれた。
                  彼はトゥレがセレッソに在籍していた同じ年に
                  アビスパ福岡に在籍していたとのこと。
                  その当時の記事

                  このコシェボ(アスレチックセンター)内にも戦争で亡くなった方の墓が沢山ある。

                  戦争中に墓が足りなくなりこの施設内にも墓地が出来る。
                  オリンピックスタジアムも同様になったことは有名な話しだが、
                  ここも同じ悲劇にあっている。
                  約1万人の市民がこの戦争で亡くなった。
                  その2割が子供達。遊んでいる最中に砲撃受けたとセルモさんは語ってくれた。
                  毎年サラエボを訪れてはセルモさんに戦争の話しを聞くが、
                  子供達が戦争の犠牲になった話を聞くと胸が痛くなる。

                  ボスニア サッカーボール寄贈レポート 

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                    サラエボではふたつの施設を訪問しました。

                    ひとつ目は昨年寄贈した知的障害者施設OAZA(詳細は昨年のブログを参照)を訪問しました。

                    昨年の訪問から施設のスタッフ、
                    施設に通う少年少女たちから歓迎を受けました。

                    今回はスポーツシューズ20足を寄贈しました。
                    昨年に続いて今年も寄贈したこともあり、
                    OAZAから感謝状とワークショップで作成された
                    木の実から作られた作品をいただきました。
                    昨年寄贈したサッカーボールやグッズに感謝の言葉をいただき、
                    今でも施設内でこの話しをよくするとのこと。
                    昨年以上に感謝、喜んでもらえて本当によかったです。

                    ふたつ目は2005年2月に寄贈したFK POFALICKI(ポファリチュキ) を訪問しました。

                    地域に根ざしたサラエボで最も古いサッカークラブのひとつで、
                    現在は約70人の子供達が在籍し、
                    セクションは5歳〜30歳、トップチームまであります。
                    旧ユーゴスラビア代表選手、ボスニア代表選手を輩出し、
                    ボスニアスポーツ発展の一旦を担っているクラブ。
                    ボスニア紛争によって多大な被害を受け、財政もサポーターも激減する。
                    アマチュア精神をサラエボ市から表彰されるものの
                    財政が厳しい為スポーツ用品などの購入が困難。
                    スタッフはボランティアで形成され、金銭も援助で運営されています。

                    こちらも以前に訪問したこともあり
                    前回と今回の寄贈に感謝の言葉をいただきました。
                    寄贈したサッカーボールがボスニアのサッカーの復興に役立てたら
                    切に願いました。

                    ボスニア サッカーボール寄贈レポート 

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                      サラエボ空港を降り立ち、入国ゲートをくぐる。
                      いつもならトゥルコビッチ選手の父・セルモさんと
                      兄・エルディンさんが迎えにきてくれているのだが、
                      今回はビックサプライズのお迎えがあった。
                      トゥルコビッチ選手(以下トゥレ)が私たちを迎えにきてくれたのだ。

                      今までなら彼はセレッソ(2002年)もしくはクロアチアのクラブに所属していた為、
                      サラエボで会うことは一度もなかったが、
                      今シーズンから地元FKサラエボに所属しているのあって、

                      UEFA.COMに記事に有り

                      彼が父・セルモさんと共に空港まで迎えにきてくれた。
                      セレッソのファンを長く続けてきているが、
                      選手に迎えきてもらう体験は初めてのことで、
                      普通ではありえないことである。
                      選手自ら迎えにきてくれた嬉しさで私たちは興奮が止まなかった。
                      ボスニアにボールを届け続けてきて5年目。
                      初めてサラエボの地でトゥレに再会する。
                      今まで会えなかったこともあり本当に嬉しかった。
                      何よりも自分がサラエボにいるなら迎えにいくという
                      心遣いが出来る人柄が素晴らしいと思う。
                      私たちにとって何よりのプレゼントをいただいて、
                      嬉しく思うし、感謝気持ちでいっぱいだった。

                      トゥレの車でサラエボでの定宿であり、トゥレの親戚の方が経営している、
                      PENSION SULJOVICへ連れて行ってくれた。
                      選手自らのお迎えも初めてなら選手の車に乗るのも初めて。
                      忘れることなんて絶対にない思い出をプレゼントされました。

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